RP:2: Literature Review

2:関連研究レビュー

2−1:他者を意識する空間作りの例

近代以前

近代的な都市計画の出現以前の都市には、衛生面や機能性の問題がある一方で、他者 を意識する空間の例を見つけることができる。日本でいえば、時代劇などで描かれる長 屋の姿がそうだ。5人組と呼ばれる自治組織と空間構成に関連があり、共有のインフラ である井戸を囲んで、井戸端会議と呼ばれるようなコミュニケーションが発生する。共 有の門からコミュニティにとっての他者がやってくると、すぐに誰かが気づくとされて いた。中世のヨーロッパでは、特にベネチアではその限られた居住面積から、共有地の 扱いが発展していた。カンポと呼ばれる広場や、コルテと呼ばれる共有の庭にはやはり 共有の貯水池や井戸があり、それらを共有する人々のコミュニティはさらに教会の教区 の単位と関連していた。(陣内、1986)どちらにも共通するのは、コミュニティの単位、 顔見知りになる範囲という社会的な構造と、個人の住戸、共有の場所という物理的な構造がよく対応し、お互いを補間している関係である。では、近代以降、他者を意識する 空間のデザインが重視されなくなってからはどうだろうか。

現代

現代においては、他者を意識する空間作りは、都市空間の設計全体のなかでとても小さな位置を占めているにすぎないが、プレイスメイキング(住民参加の場所づくりによる場所とコミュニティの間の緊密な関係の醸成)と呼ばれる活動が都市政策、芸術、そしてデザインの分野で見られる。

都市政策では、Urban creativity(Landry,2008)、Social capital(Putnam,2001)、 Structure of belonging(Block,2008)などの都市空間、市民の集団であるコミュニティとそ の活動を繋ぐ議論があったが、これを作りだすシステムが人工物化されていず、政策的 な市民の活動を中心に展開されているので、都市空間との結びつきが希薄になっている。 60年代から美術館の外、都市空間での活動が発生している芸術の分野では、90年代 には参加とコミュニティの問題も美学の対象になってきた。Bourriaud は Relational Art という分野を提唱し、’孤立した個人的な空間から始めるのではなく、その作品に関わる 人間関係とその社会的文脈全体を、理論、実践の出発点とするような芸術の取り組み’と 定義した。(2002,p113)この美学の範囲にあるようなその場のコミュニティと関わるア ート作品は多くの事例があり、一時的ではあるが、コミュニティのメンバーが活発に活 動する都市空間を演出している。(Kawamata,1996)。特に、Beuys の 7000 Oaks -City Forestation Instead of City Administration(1982)では、Social Sculpture という考え方のも とに、ボトムアップ型の都市空間への関わり方のしくみ自体を作品とし、実際に数年を かけて都市の風景が観客の参加によって変化した。しかしこれら芸術作品が提示する市 民の参加と都市空間の変化の関係は、一般化して継続的に社会システムに取り込まれていない。

都市空間のデザインの世界では計画学のレベルにおいていくつかの試みがなされた (Alexander,1987;Hester,2006)が、現在のデザインの方法論の主流には組み込まれず、 一度デザインがなされ出来上がった空間を活用するコミュニティ活動が残った(山崎、 2011;Project for Public Spaces)。人工物である都市空間は、人が集まり、お互いを認め、 関係を築く場所とされてきた(Waal,2011)が、このように都市空間それ自身は現在も 人と人の関係の構築を、人に任せてしまっている。これらコミュニティに関わる活動は、 その多くを住民の労力に負っている。他者を意識しない空間のデザインによる問題点を、 住民の労力がカバーする形になってしまっている。そこで、本研究では、コミュニティ 活動ではなく、都市機能がコミュニティを維持支援するのだというビジョンをもち、他 者を意識する空間を提供する。ここからは、都市機能によってコミュニティを維持支援 しようとしている現代の例を見てゆく。

2−2:活動から都市機能/環境へ

John Gehl のような都市空間のデザイナーによる、ランドスケープデザインによって他 者を意識する空間の機能を取り戻す試み(Gehl,2010)が続けられているが、これらは既 に作られてしまった都市空間に対しては増改築というコストを要求する。さらに、そも そも他者を意識しない空間が優先していた、個々人の目的のための効率のためのデザイ ンと正面から衝突するものであり、その運用に大きな課題がある。このように都市空間 のデザイナー自身によって他者を意識する空間のバランスを取り戻す試みが続けられて いる一方で、壁や床のような物理的要素、つまり、伝統的な都市空間に頼るのではなく、 ソフトウェアと電子的なハードウェアによって既存の都市空間に働きかける試みもなさ れている。Urban Computing という分野であり、(Paulos and Goodman, 2004)では、 心理学者 Milgram による”見知った隣人/Familiar Stranger”の概念を参考に、人間関係が希 薄な都市空間において市民同士を心理的に繋ぐ携帯電話のためのアプリケーションの提 案がされている .

一方で、現状ではこのような携帯機器のためのアプリケーションは、都市空間の物理 的な様子に変化を与えないため、都市空間との繋がりを持たず、都市空間との関係は一 方向的(都市空間の情報をアプリケーションが得、処理された情報が使用者に渡される) である。近年多くのユーザを持つ SNS サービスは、携帯電話の情報処理能力の向上とと ともに、都市空間のなかで携帯電話からアクセスされることが増えてきた。しかし、こ れらのサービスもまた、都市空間のなかでの使用者の位置を空間情報として使う付加サ ービスをもつにとどまっている。都市空間での人の関わりと、これらサービスを経由し た人の関わりが、都市空間に身体をおいた個人から同時に発生していることがあっても、 相互の繋がりは弱く、逆に都市空間での体験の一体感を損なうのではないかという疑問 を投げかける。”携帯電話の向こうにいる友人と対話したり、メッセージを送受信しなが ら、しかしそのために街路で出会った人に挨拶することを忘れる”(Gordon and Silva,2011,p86)。このように、都市空間におけるネットワーク利用の進歩し一般化した インターフェイスである携帯電話とそのアプリケーションは、都市空間との繋がり、特 にその使用者の経験デザインにおいて都市空間における使用者の身体との一体性を欠い ている。では、都市空間における情報だけでなく、身体性も兼ね備えた Urban Computing の試みはあるだろうか。前述の Paulos のプロジェクトは身体の近接性、社会 性を扱ったが、そのアウトプットは画面上の情報にとどまり、身体性をもたなかった。 そこで、次に、身体性を持つ UrbanComputing の例として、都市空間とその物理的要素 をインタラクティブにする試みをみてゆく。

技術が可能にしたインタラクティブな都市空間とResponsiveな光

デザインと建築の分野では、インタラクティブ建築 (Haeusler,2009;Bullivant,2005,2006,2007;Kronenburg,2007;Fox and Kemp,2009)、アン ビエントライフスタイル(Aarts and Diederiks, 2006)が、新しい技術が開く都市空間デ ザインの可能性を探ってきた。が、そこにはユーザである市民と、その集団であるコミュ ニティの姿がない。様々な情報デバイスにおけるインタラクションデザインの事例をまと めた Smart Things(Kuniavsky,2010)では、市民が個人で利用するような 1cm のデバイ スから、都市環境デザインが対象とするような 100mから 1km の規模のインタラクショ ンデザインを例にあげ、この間の複数のスケールを繋ぐユーザ経験デザインがこの分野の 課題だと論じている(ibid,p174)。CHI の分野ではインタラクティブ建築に繋がる偶発的、 創発的な社会インフラのための技術として市民と照明の Responsive な関係が考慮された ハードウェアの枠組みが提案されている(Seitinger,2009,2010)。Responsive な都市照明 の研究は、既にいくつかの方向に広がっている。夜の安全、節電(Stadwerke Lemgo Consult, 2009) その双方の関係に関する試み、研究(Kroesen,2012)がすでにある。本研 究はこれらの機能的な研究と方向を異にするが、Ambient lifestyle (Aarts and Diederiks, 2006)商業空間などを対象にした光の操作インターフェイスの提案や、四角いフレームか ら自由になったピクセルとして都市照明をとらえた Liberated Pixels(Seitinger,2010)な どが参考になる 。

本研究の対象である他者を意識する空間により関連するものとしては、ある地区の集 団の電力利用状況を発電所の煙にレーザーで映し出し、その集団の行動を誘う Nuage Vert(Hansen,2008)は、共通の関心事である電力利用を媒体に、煙が見える地区の人々を 間接的に繋いでいる。Hello Wall(Prante et al, 2003)は、オフィスの外の半公共空間を対 象にしたデザインだが、使用者と Wall の間の距離によってインタラクションの様子を変 化させ、オフィスで働く人々の間の繋がり、特に、Social Capital でいう bonding を支援 する。自発性、創発性を刺激するものとして、ゲリラ•ライティング (sociallightmovement.com)がある。照明のないところに参加者が集団で光を当てて都 市の夜の風景を変えるイベントだ。L.A.S.E.R Tag(Graffiti Research Lab, 2007)は、ス プレーで壁に描く落書きを模して、プロジェクターとレーザーポインターを使って、都 市の任意の壁に光の落書きをする。

身体性を持つ UrbanComputing の例として、インタラクティブ建築の分野があり、特 に Responsive な照明において多くの例があることがわかった。しかし、本研究のテー マである他者を意識する空間をこれらの照明と光は作っているだろうか?ここで、技術 から一旦離れて、祝祭や芸術における光の例を見る。

祝祭、芸術における参加と光

都市空間での Responsive な光について調べてゆくと、都市のなかでの祝祭と光の関係 につきあたる。たとえば、自分の光から、集団の光への移行のプロセス。Verona の
Arena di Verona Festival では、野外音楽堂でのオペラの開始前に、観客は客席にいてキ ャンドルを点灯するように求められる。台湾には、ろうそくの火で浮かぶ小さな熱気球を 多数空に放す祝祭がある。 東京ほたる:Symphony of Light(2012)では、日本の伝統的な 祝祭である、川に多数のランタンを流し、故人の魂を慰める行事を模して、水上に浮かぶ とそれを検知して点灯する LED と充電池の入った球体を1万ユニット、祝祭の参加者が 川に流し、夜の風景を変えた。そのほか、世界各地の祝祭や、慰霊の場で、参加者がひと つの火を灯し、それを火の集合に加えるという行動のパターンが見られる。ある共通の興 味のために集まった参加者が、自分の手で灯した火を、集団が捧げた光の中に繋げてゆく。 その際に、自分の火は、あるところから、全体の一部となり、所有の感覚は無くなり、自 分の火は、全体に預けられる。

芸術作品においても、観客が光に接するものがある。宮島達男は、作品が展示される村 の住民に作家は作品の一部である光る部品の点滅間隔をセットしてもらい、異物としての 現代美術作品と地域の住民の間の繋がりを作ろうと試みた。Lozano-Hemmer(2006)は、 インタラクティブなしくみを作品が備えていて、センサーを通じて観客が自分の心拍と同 じビートを刻む光を作品に加え、その光が以前に参加した多くの観客による光と一体化し てゆくプロセスを眺めることができる。

2−3:本研究の貢献

本研究は、他者を意識しない都市空間が生まれ続けている現代において、これらを他 者を意識する空間へと変化させる役割がコミュニティ活動によってカバーされているこ とに着目し、近代以前の都市空間にみられたように、都市空間がその機能の一部として 再び他者を意識させる機能をもつことを目指す。しかし現代のランドスケープデザイナ ーが試みているような建築デザインそのものによるこの機能の達成ではなく、Urban Computing の成果と、インタラクティブ建築の成果を応用して、既存の都市空間であっ ても、Responsive な都市照明によって他者を意識する空間に変容できるデザインを達成 する。現代の都市空間での生活と、その背後にあるデザインの問題を、自律分散した都 市照明のコントロールによって解決する研究は今までなく、ここに本研究の貢献がある。